· 

属性を越える美へ

 

属性は、本質を何かの特徴や特性から分類したうえで、区別したり統一する働きがあります。

 

哲学では、属性とは根本的な性質であり、それなしには実態が考えられないような本質的な性質、と意味づけます。

 

 

現在、日常的に人に対して用いる属性とは、本人の性質や情報をひっくるめたもの(データなど)とするイメージが強いと思います。

 

 

 

ここでは、美・美しさの属性、属性を越える美についてご紹介します。

 

 

 

時代の変化や流行により、進化や発展とは別として、美意識には属性が強くあります。

 

世が変われば、流行が動けば、美の属性は周期的に変化します。

 

サイクルが短いものもあれば、随分長く続くものもあります。

 

 

 

流行とともに、美の属性は、まったく180度反転することがあります。

 

つまり、美がブスになり、ブスが美になり(笑)です。

 

 

 

たとえば、

 

みなさんの記憶がまだ新しいところでは、現在の美白ブームの前は、ガングロや日焼けがメジャーでした。

 

個々人の好みや判断で美の対象を選んでいるというより、商業的なブーム創りが働いていることは否めません。

 

 

 

外観、つまり表面的な美の様相は、センスと好みで取り込んでよいでしょうし、特に職業や身近な人間関係等からの制約がないのであれば、美を楽しむ権利があるでしょう(今や男女問わず)。

 

 

この領域の美の商品やサービスは、実に数多(あまた)です。

 

 

また、この領域の美により、自身の姿だけでなく、あり方、人生全般が美しく、健やかに、活発になる相乗作用があります。

 

 

 

一方、ときに副作用や混乱もあります。

 

 

この主流の美は、美意識の中でも表層な意識です。

 

ですから移ろいやすいのが特徴。

 

 

 

 

さて、その人らしさが表現する、または体現する美は、結局のところ、あらゆる属性を越えるところにあります。

 

 

たとえば、年齢、世代、社会の属性をはじめ、さらには性別や「普通」という括りも意味を為しません。

 

 

誰かや何かと単純に比較されることはなく、その人らしさの表現、体現が、そのまま「美しい」のです。

 

 

ここでは、かつては美の衰えの対象や醜いとされた属性さえ、超えて美しいのです。

 

 

 

 

少々、壮大な意識論や美の哲学を語っているように聞こえるかもしれませんが、まとめましょう。

 

 

 

もし望むのであればですが、属性を越えた美を活きるとしたら?

 

「自分らしくあること」です。

 

 

 

自分らしく、本人が自分であることを自然に活きていることが、真の意味での老いも醜さもない美、といえそうです。

 

 

 

花が枯れて、木が朽ちることを、老いや醜さと感じるところを越えた「本質の美」をわかる目を、失わずにいたいと、個人的にも思います。

 

 

 

そして、このような点にガッテンがいくなら、外観の美、商品やサービスにおける美容指向に、ぶれることがなくなります!

 

 

製造、提供する側も、お客様側も。

 

 

 

本質の美を無視するようなハリボテの美は、もろく、ときに危うい結果をもたらします。